はじめまして。
私は2023年7月末で新卒から約1年半務めた会社を辞める決断をしました。
今からその経緯や今後について、ブログを始めたきっかけなどについて話そうと思います。
最初の投稿でわかりにくい表現などもあるかとは思いますが、赤裸々に今の気持ちを綴り、一生懸命に書きました。最後まで見ていただけると幸いです。
まず、私の職業についてですが、理学療法士という仕事をしていました。
病気や事故などで心身機能が低下してしまった方々に、機能改善を目的としたリハビリを提供していくのが主な仕事内容です。
理学療法士になるためには、専門の学校(3年制or4年制)を卒業する必要があり、最後に国家試験を受験して合格しないとなることが出来ません。
卒業するためには実際の病院での臨床実習も行う必要があり、私自身は4年生の時に2ヶ月間の実習を計2回異なる病院で行いました。今思うと改めて大変だったなと感じています。
ではなぜ私がこの仕事に興味を持ち、目指そうとしたかというと、母が訪問看護の仕事をしていて、その職場に訪問の理学療法士さんもいて仕事内容に興味を持ったからです。
当時自分は小学生で、サッカーを習っていたこともあり、筋肉や関節の仕組みについても興味がありました。
また、昔から人を喜ばせたり笑顔にさせることが大好きで、周りの人の役に立つ仕事がしたいと思っていました。
この時は何となくこの仕事をしたいなーという感じで、その気持ちは高校生まで変わりませんでした。
高校は第一志望の都立の自称進学校に入学しました。
勉強だけでなく部活もとても忙しく、土日も休みなく1日練習をする位熱心でした。
ただとても充実はしていたし、今振り返っても高校の頃が1番楽しかったと断言できます。
高校の中で成績は中の中か中の下位で、校内では平均の学力レベルだったと思います。
ただ、大学受験が迫ると周りの空気感は変わり、周囲の友達は大体が有名私大、国立の学校を目指す人が多く、自分は焦っていきました。
絶対に理学療法士になりたいという気持ちはなく、学校に入ってしまったら基本的にその職業しかなることができないという事もわかってはいて、皆みたいに良い大学に入ってやりたいことを見つけていくのもありかなと感じていました。
しかし、結局大学受験もめんどくさくなってしまい、自己分析もほぼしないまま、自分は最低限の勉強量で理学療法士の中では有名な私大へ入学しました。
オープンキャンパスにも行ってないし、その学校は試験で初めて行った位です。今思うとほんとに適当だったなって思います。
大学へ入学し、友達もでき、1年生の頃は大学生らしいことが割と出来て楽しかった印象があります。
ただ、2年生や3年生になり授業が専門的になっていき、毎日一限から五限までみっちり単位が入っていくと状況は変わりました。
今までは何となく単位を落とさないように勉強していた友達が、目の色を変えて授業に打ち込むようになったり、実技の授業でも皆遅くまで残って練習をしたり。。
自分にはそのような熱量はなく、「何で自分はこの大学に入ったのだろう」「もっとやりたいことが他にあるんじゃないか」と毎日考えていました。
周りとの情熱の差も精神的にしんどかったりして、一時期はほんとに中退も考えていた位です。ただ、両親に高い学費を払ってもらい、奨学金も借りていたので、ここは踏ん張り時だと思って何とか食らいつきました。
国家資格を取れば全国どこでも求人さえあれば働けるし、実際に臨床業務に就けばもしかしたら面白くて続けられるかもしれないという淡い期待も抱いていました。
四年の最後の実習と国試を何とか耐えて無事に国家資格を保有した私は、地元の総合病院に就職しました。
病院の環境は割と良く、先輩方も皆優しくてパワハラとかは一切ないホワイトな職場でした。
理学療法士の給料は平均年収と同じかそれより少し低い位で、他の一般企業より給料が上がりにくいという特徴がありますが、新卒という枠組みの中では貰えていた方だと思いますし満足はしていました。
一年目は臨床業務以外の仕事を覚えることから始まり、新人教育もしっかりしていた為、最初の3ヶ月間はすんなり職場に適応できていたと思います。
また、先輩からの指導を通して理学療法の面白さも感じることが出来、「案外この仕事悪くないな、この道で頑張れるかな」という気持ちになった時もありました。
ただ、実際に担当患者さんを持つようになると状況は変わりました。
ある患者さんからは、「何の意味があるんだ」「こんなもんやらなくていい」「うるさい黙ってろ」「おまえには直せないんだから」などたくさんのきつい言葉を言われたことがありました。
先輩からは「こういう患者さんはよくいるし一年目で担当は誰でも無理だよ」「私も一年目の時はすごくきつい事言われてよく心が折れてた、大丈夫だよ」と慰めの言葉を貰い、自分も頭の中ではそれを理解して前を向こうとしました。
ただ、自然と涙が溢れてきて、よくトイレで泣いていました。早退した日や3日間ほど休んだ日もありました。
同期からは「そんなもん気にするな」「相手にせず受け流しちゃえばいいんだよ」と言われました。
励ましてくれる言葉でとても嬉しかったのですが、心の中では「それができていれば泣くことも、休むこともないのに」と思ってしまいました。
自分は昔から感受性が強く、深く考え込んでしまう性格だったため、人から言われた些細な言葉でも気にしてしまうし、自分の発言で相手を傷つけてしまわないか常に気にしていました。
後々自分はHSP(High Sensitive Person)と呼ばれる、神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った人である事が分かりました。
HSPについてはまた別の記事でも投稿させていただこうかと思っていますが、色々な人とのコミュニケーションが強く求められる環境において自分はストレスを抱え込みやすいのだと働いていくうちに実感しました。
大変だった時期も周囲の支えもあり、何とか乗り越えましたが、心は疲弊していました。
理学療法は常に自己研鑽が必要な仕事です。休日は勉強会へ参加したり、自宅で最新の論文を読んで知見を得たりする同期もいました。
ただ、自分はそこまでの気力が沸きませんでした。
元々大学でも単位を落とさないように、留年しないように勉強してきて、国家試験を合格することがゴールだったから。
だから職場でも同期や先輩方との熱量の違いには困惑しました。
そのような軽い気持ちで仕事をしていると、段々他の同期との“差”が自分の中で大きくなっていき、自分自身の出来なさを責めてしまう日々が続きました。
理学療法では、患者さんとの信頼関係を築くことが求められます。
そのためには、コミュニケーション能力や、分かりやすく簡潔に説明できる能力、患者さんの体を細かく分析して頭の中で思考し分析する能力など、求められるものは多岐に渡ります。
学習意欲が低いことに加え、HSPで色々考えすぎてしまい頭の回転も人より遅い私は、上記にあげた能力も劣っていると感じてしまい、日々劣等感を抱えながら仕事をしていました。
また、理学療法の業務は治療するだけではなく、日々のリハビリを記録するカルテや、一ヶ月ごとの評価報告書、医師や看護師・ソーシャルワーカーを交えたカンファレンス、退院する際に家の環境調整や実動作について指導・提案する退院前訪問指導、退院前在宅カンファレンス、施設へ送る為のサマリー作成など、書類業務も多岐にわたります。
文章能力も低かったのでとても時間がかかり、よく残業していました。
ただ、実際書類業務などのパソコン作業は、一人でもくもくと出来るしそこまで苦痛ではありませんでした。
日々の治療でのコミュニケーションや実技練習会、他職種との情報共有やカンファレンスなどの方が苦痛に感じていました。
勿論、まだ一年目で、「全部出来なくて当然」とは思っていたし、実際に先輩からも言われていました。
ただ、大学時代から続く劣等感や自信の無さがどんどんネガティブな方向へと進んでいきました。
何とか一年目を乗り越えた私でしたが、意欲は低いままだし、患者さんと接するのにも段々疲れてきて、無気力な状態が続きました。
二年目になり、後輩が入ってきました。後輩の前ではいいお手本にならなければと思い、ギアを一段階上げて頑張らなきゃなという気持ちも芽生えました。
ただ、後輩の前でもヘマばっかりするし、きつい言葉を言ってくる患者さんをまた担当したりして、心にぽっかり穴が開いたような感覚にまたなりました。
職場へ行くまでのバスも動悸がしたり、頭痛がしたりと、今思えば体が悲鳴を上げていたのだと思います。それ以降も早退をしたり、欠勤する日が続きました。
仕事以外の休みの日はまだ動ける方だったし、食事も取れていたので、これ以上悪化する前に職場を辞める決断をしました。
上司には何度か電話などでも相談していたので、すんなり話を聞いて貰えました。
“石の上にも三年”という言葉があるように、最初の仕事に慣れるまでは多少の“我慢”は必要だと私も思います。
ただ、どうしてもこの先「このような理学療法士になりたい」とか、「誰からも頼られる理学療法士になりたい」という気持ちが、自分の中に全くない状態で、二十代の貴重な三年間を無駄にしたくないなと強く感じました。
また、患者様や他職種間でのたくさんの人との密接なコミュニケーションが常に求められる環境への苦痛感がずっとありました。
人との関わりがそこまで多くない環境で、ゆくゆくは家で一人でも仕事が完結できるようになるのが今の仕事での目標です。
いろいろな意見があるのはわかるし、実際誰もが自分のやりたかった仕事を出来ている人は少ないかもしれないけれど、「どうせ死ぬだけの一度きりの人生だから、もっと気楽に自分の好きなように生きてもいいんじゃないかな」って思ったんです。
社会に出ればストレスも必ず出てくるし、そこに向き合って乗り越えなくてはいけないと感じてしまうかもしれないけれど、越えられる壁と越えられない壁は絶対にあるし、越える能力が高い人、低い人も必ず存在すると思います。
無理に越えようとすると、適応障害やうつ病といった精神疾患になってしまったり、最悪自殺してしまったりする場合もあるかと思います。
実は私の母も一時期適応障害になった時期がありました。私は母に性格が似ているのかもしれません。
命を削ってまで仕事をするのはおかしいと思うし、今後は自分のペースでゆっくり働けるような仕事・環境を自分のペースで必ず見つけていきます。
そして、このブログは少しでも私と同じ悩みを抱える人であったり、様々な困難にある方の力になれればと思って始めてみました。
心がふっと軽くなるようなノウハウを始め、趣味を生かし、心を落ち着かせてくれるような素敵なカフェや旅行先を中心に発信していきたいと思います。
長文になりましたが、最後まで観ていただいた方、本当にありがとうございます!
これからも自分のペースを大切に、自分らしく生きていきます。
皆さんもそれぞれのペースで、焦らず、ゆっくりと過ごしていきましょう。
絶対に大丈夫。何とかなる。今は何とかならなくてもいつかは何とかなる日は必ずやってくる。
では、これにて。
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